・ワインの伝播

~ワインは文明とともに世界に拡がりました~

前述した通り人類によるワイン造りはコーカサス地方(ジョージア、アルメニアイラク周辺)で発祥したと考えられています。またメソポタミア文明の地であるチグルス川、ユーフラテス川の地域一帯(現在のイラクを中心にシリア北東部、イラン南西部を含む)において、シュメール人による最古の文献「ギルガメシュ叙事詩」にワインについての記述がありました。

紀元前3100年前のエジプト王朝時代ピラミッドの壁画には葡萄の収穫、足踏み、瓶(アンフォラ)を用いた醸造の様子が描かれています。

紀元前1100年、地球海沿岸に植民したフェニキア人はギリシャでワイン造りを始め、続いてイタリアへ渡りました。イタリアの地におり立ったギリシャ人はイタリアを「エノトリア・テレス=ワインの大地」と呼んだと言われています。その後、約500年をかけてスペイン、ポルトガル、南フランスに到着します。現在のヨーロッパの礎を築いたローマ帝国の栄華と共に、食文化が樹立され、ワイン造りはローマ軍の領土拡大と共にヨーロッパ全域に普及しました。

・ニューワールドへの伝播

イタリア、フランスを中心に、古くからワイン造りがされていた伝統国を「オールド・ワールド(旧世界)」と呼び、アメリカ、チリ、オーストラリアなどの新興国を「ニューワールド(新世界)」と呼びます。大航海時代を迎え、16世紀中頃にスペインの開拓者がアルゼンチンにVitis Vinifara種を伝え、また同じくスペインの征服者・宣教師などにより、チリへ葡萄栽培が伝えられました。17世紀にはオランダの東インド会社のヤン・ファン・リーベックが南アフリカに入植し、葡萄を植えワイン造りを始めました。1788年イギリス人アーサー・フィリップ大佐はオーストラリアの公邸庭園に葡萄を植樹しました。1819年に神父サムエル・マースデンがニュージーランド北島のケリケリに葡萄を植樹しました。

ニューワールドへのワインの伝播は、主にスペイン人宣教師による、中米より南下しチリ、アルゼンチンへ広められたキリスト教と共に広がった西ルート。またイギリス人やオランダ人による交易によって広められた東ルートがあります。旧世界と呼ばれる伝統国では、ワインを品種で表示することはありませんでした。厳格な規定がある伝統国で醸造されるワインには、産地や畑ごとに使用可能な葡萄品種や製造方法が決まっていた為、ラベルに品種は記載されていません。シャブリと言えば品種はシャルドネ、産地はブルゴーニュ地方の最北部のシャブリ地区と決まっています。ペトリュスといえばボルドーのポムロール地区、品種はメルロ主体…と決まっているからです。このようなワインの世界の伝統が、時にワインの世界を敷居が高く難しいと感じさせる要因となっているとも言えます。一方、新世界ではそれまで栽培の歴史がなかった土地で葡萄栽培を始めたわけですから、当初ワイン造りに制約や規定がないため、自分たちの作ったワインを、広くカジュアルに楽しんでもらえるように、消費者の目線からラベルに品種を記載するようになりました。

世界のワイン史_参考資料